放送大学は「教養学部」一本の大学であり、開講されている科目を見てもいわゆる専門家教育というよりはいわゆるリベラルアーツ寄りだということがわかります。
とはいえ、卒業に対する要件は低く、語学は2単位、理数系科目を一切取らなくても卒業ができたりするので、リベラルアーツを学べはしますが、卒業生が全員リベラルアーツを学んでいるわけではないんですね。
中世のリベラルアーツは、文法、論理(半分哲学半分数学)、修辞(ディベートやプレゼンテーション、一部は心理学か)、算術(いわゆる高校でやるような素因数分解とか)、幾何、天文、音楽あたりがあって、それをマスターして専門科目に進むような感じだったそうです。
前半の三つはそもそも神学者にとってはキリストの教えを正しく伝えるという使命があるので、そりゃもう最初の科目としてこれをクリアしないとやる意味ないですわくらいの位置づけであったらしいです。
言葉を理解し、筋道の良い誤謬のないロジックで、聴衆に伝えたいことを伝える。
まずこれをもってして学ぶきっかけになると。
それを超えたら今度は神が作った自然を理解する。いまの日本人の感覚でいう「理系科目」の多くが自然科学といわれているのは「自然」を何らかの形で理解しようとする学問であり、この自然の理解を通して神の教えを理解しようとしていたわけですね。自然とは神が作ったものだから、自然科学を学ぶことは神の考え方を少しでも知ろうとする態度につながります。
今日では自然科学はむしろ何かを生み出す基盤技術のようになってしまっていますが、もともとは自然を理解すること=神の考えに少しでも近づくということがベースの学問なので、自然科学をめちゃくちゃやった人が「神などというスピリチュアルなものに惑わされないように事実を分析しよう」なんていう若者をアリストテレスが見たら気絶してしまいますね。
で、そんなこんなのリベラルアーツについて、放送大学もこれがリベラルアーツだよというわけではなく、むしろわざわざコース分けをして特定の学問を集中させようとしているという点で放送大学の「教養」というのはリベラルアーツとイコールとしてはいけないと思うわけです。
リベラルアーツと言い換えてもよい教養が放送大学で身につけられるかどうかを調べてみると、そこそこいけそうな感じがします。ただまぁ、現代の社会人に置き換えて考えると大衆を目の前に演説するようなケースよりも、数人を相手に文書の力を借りてプレゼンテーションをするような機会が多いので下記のような感じですかね。
文法:日本語リテラシー
論理:記号論理学
修辞:日本語アカデミックライティング、よりよい思考の技法 ※このジャンルはピッタリなものがない感じ
算術:初歩からの数学、入門線形代数、入門微分積分
幾何:初歩からの数学 ※ここはやや弱い
音楽:なし
天文:宮沢賢治と宇宙、宇宙の誕生と進化 ※ここは本来のリベラルアーツに比べるとやや物足りないか
音楽はいまでいう音楽の授業というよりはもう少しロジック的なものだったようなので数学的なものに含まれいたようです。
天文に至っては算術、幾何、音楽の完成形のようなものでまぁ大学入試に出てくるような数Iから数IIIまでの考えがミックスしたようなものでしょうか。
今回は「社会と産業コース」なのですが、やっぱり自然科学系の授業は少しずつでも取ろうと思います。